漫画研究室

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アクタージュ scene102「狙い」感想・考察『夜凪との対比・6話との対比で面白さ倍増』

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舞台「羅刹女」公式サイト https://www.shonenjump.com/studio_daikokuten/rasetsu/

ネタバレあり。単行本派の方はご注意ください。

 

王賀美の報道

案の定、夜凪の芝居を止めたことが波紋を呼んでいるよう。

意外だったのは、王賀美がハリウッドで役所の少なさに苦労したということ。登場以来ずっと頼れるスーパースターとして描かれていたため、てっきり向こうでは第一線の役者と肩を並べる役者として認められているものだと思ってました。

「この国で対等な女と遊びたかったんだよ」って言葉は日本への復帰を望む気持ちの現れだったのかもしれませんね。

 

にしてもアリサさんほど「不遇」という言葉が似合うキャラはいませんね…。最初から悪い人ではないんだけれど、他人を思いやった行動がいつも裏目に出てしまっているという。どこかのタイミングで報われて欲しいキャラランキング第1位です。

 

黒山監督の野望

「初めて黒山監督の目的が明らかになった」なんて思った人は1話読み返してきてください。言及されてますよ笑


「夜凪を有名にする」ために黒山監督がまず最初にやったのは新宿でのMV撮影でした。ですがそもそも有名になったきっかけは天知による銀河鉄道の宣伝でしたし羅刹女」も天知の企画ですよね。あたかも「自分が全部仕組んでいる」ように言うのどうなんですか…。「使えるものを使う」的なニュアンスで言ってるのかな?

大黒天の天は天知の天なんて説もありますし、「羅刹女」は天知と黒山監督の共謀の可能性もありますが。

 

黒山監督の撮る映画に千世子と王賀美の登場確定はめでたい。アキラくんと阿良也も出て欲しいですね〜。アキラくんは羅刹女に関わりないからともかくとして、阿良也はバリバリ出演してるのにスルーされてるの不穏だな…。

 

夜凪の羅刹女と千世子の羅刹女の対比

怒りを周囲に伝播させることで観客の目を背けさせた夜凪に対して、暗闇と扇で姿を隠すことで観客の目を惹きつける千世子。

ここの対比だけにとどまらず「顔が見えない」→「仮面」という連想を夜凪にさせることで6話との対比にスムーズに導入する流れができていて、一つの描写に2つも3つも意味が重なっている。構成力どうなってんの?

市子さんは暗闇について「怖いですね」と言ってるので、これには夜凪の強い怒りとの差を補完するためという意味もありそう。あとルイに抱きつくレイが可愛すぎました。もちろんルイも可愛いですが。

なんと言っても同じ舞台なのにここまで読み味が変わるとは凄すぎる。マツキ先生やばいっす。今後に期待しかないです。

 

 

 

6話との対比

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アクタージュ (左)102話 (右)6話

 

完全にコマ割りは一緒ですけれど印象は随分違いますね。

自分を魅せることで観客を惹きつけた6話あえて自分を見せないことで観客を惹きつけた今回と言ったところでしょうか。

ほぼ全部同じ構図に関わらず、大ゴマだけは読者の視点が逆側になっているのは「見せない」を意識したからじゃないかな〜と思ってます。

この構成は千世子が仮面の芝居を使うことを読者に印象付けるだけじゃなくて、デスアイランドの時の千世子の強キャラ感を読者に思い出させる効果もありそうです。

 

ちなみに千世子の足元に芭蕉扇から落ちた羽が舞っています。これは天使の羽を意識した演出でしょう。仮面の芝居を強調する効果がここにも。夜凪と千世子で芭蕉扇のデザインを変えてたのはこの為だったんですね。今気づきました。

 

千世子のメソッド演技

千世子の仮面を強調した後に、モノローグで心情を描写することで「今回は仮面とメソッドの合わせ技でいきますよ」と宣言。(このことに気づくのにだいぶ時間がかかってしまいました笑)

 

千世子は何より腹が立っていることとして「自分の負けを認めてしまったこと」「夜凪が自分を思いながら演じてくれなかったこと」を挙げています。ここで「夜凪への感情」が出てくるのは自然な流れとして受け入れられたんですが、「自分の負けを認めてしまったこと」はいきなり出てきた感じがして違和感でした。

で、考えたんですけど、そういや「羅刹女」って「嫉妬とも自己嫌悪ともつかぬ怒りの物語」だったんですよね。「夜凪への嫉妬」に並列して「自己嫌悪」が出てくるのはごく自然なことでした。てかそもそもそのためにマツキ先生は千世子を一回諦めさせたのかも。

 

サブタイの「狙い」

黒山監督の語った野望の「狙い」と千世子の演技の「狙い」のダブルミーニングになってました。こういうの好き。

 

 

ここまでお読みいただきありがとうございました。

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