漫画研究室

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【アクタージュ考察】山野上花子はなぜ怒りに囚われ、なぜ自由になれたのか

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アクタージュ9巻 表紙
怒りの呪いに囚われた女性、山野上花子。
彼女は何に怒り、なぜ怒りから解放されることが出来たのか。「孤独感」「怒り」いう二つの言葉を軸にして、彼女の人生を振り返っていきます。

注意

  • 108話までのネタバレを含みます。未読の方はご注意ください。
  • あくまで個人的な解釈です。


孤独な幼少期

花子さんの出身は北海道の山奥の農家です。
周囲には友人どころか民家もなく、冬には両親も別の仕事に出てしまうため、一人きりで過ごすことの多い幼少期でした。

コロポックルのフキコちゃんだけが友達でしたが、コロポックルは所詮空想の産物。花子さんが孤独な現実を紛らわせるために妄想の中で生み出した存在でしょう。

「フキコちゃんは私の孤独を知っていたからずっと側にいてくれた」

このセリフから分かるように、フキコちゃんは花子さんの孤独の理解者でした。花子さんが自分を理解してくれる人間を潜在意識で求めていたことが読み取れます。
これが山野上花子について考える上で重要な要素の内の一つ「孤独感」です。「孤独感」の原点が幼少期の環境にあることは間違い無いでしょう。

そして、もう一つの重要な要素「創作願望」も、幼少期のエピソードから読み取ることが出来ます。
花子さんはフキコちゃんと一緒に、雪だるまを作ったり、絵を描いたり、本を読んだりして遊んでいました。これらからは「雪だるま→彫刻家お絵かき→画家読書→小説家」の様に、現在の花子さんの芸術活動の芽生えを見ることができます。
花子さんの創作活動は怒りの表現として取り上げられることが多かったですが、実はそれより前に怒りと関係のない純粋な「創作願望」があったというのは注目すべきポイントだと思います。

フキコちゃんとの別れ

成長した花子さんはフキコちゃんを見ることができなくなりました。
正確な時期は分かりませんが、少なくとも高校時代には見れなくなっていたようです。その理由は花子さん曰く「大人になってしまったから」だそうです。

「当たり前で不自由な現実が私たちを大人にする 常識という鎖に縛らせる」
「私は鎖を断ち切るために物を創っています」

この表現もなかなか面白いですが、ここで注目するのはその後のセリフ。

「そしたらきっとまたいつかフキコちゃんに会えるはずだから

この「フキコちゃんに会いたい」という想いは、現在では言及されることがほぼありませんでした。しかし、過去回想から考えると、花子さんにとってフキコちゃんの存在はかなり大きいようです。「怒り」ではなく、「フキコちゃんに会いたい」という気持ちこそが花子さんの根底にある創作のモチベーションなのではないでしょうか。

このあと、2つの辛い出来事が続くことで花子さんの心の中の怒りの炎は大きくなることになります。

高校時代

花子さんが怒りに囚われるきっかけとなった一つ目の事件は高校時代にありました。

高校時代の花子さんは周囲に馴染めずにいました。授業中にわからないことがあったら手をあげたり、一人でお弁当を食べるのが恥ずかしくなかったりする自分が、”普通”ではないことは自覚していたようです。
そして、コロポックルの絵を記憶と同じように書けないことに苦しんでいました。「腹が立つ」と言っていますが、このときの怒りは自分を"普通"という鎖で縛る現実へ向けられたものだと考えられます。「常識の鎖に縛られる→大人になる→コロポックルが見えない・描けない」という流れですので。

コロポックルの絵の交換を持ちかけてきた男子生徒に花子さんは希望を見ます。「"普通"じゃない自分を受け入れ、孤独から救ってくれる存在が現れたのではないのか」と。
しかし、結局はその男子生徒も一心不乱に絵を描いては消し続ける花子さんの姿にドン引きして、立ち去ってしまいました。
そして花子さんは確信しました。

「私は一生一人で絵を描き続けるしかないのだと」

このあと、花子さんは自分の描いた絵に満足できず燃やしてしまうようになります。
これは、創作が「フキコちゃんと会おうとする行為」から、徐々に「自分を孤独にする周囲の人間・社会への怒りの捌け口・表現」にすり替わってしまっている現れでしょう。


夜凪父との出会いと別れ

芸大に入学した花子さんは、絵を描いては燃やす日々を過ごしていました。
ある日、致命的な出来事が起こります。夜凪の父との出会いです。

花子さんは、夜凪の父から「初めから燃えている絵を描けばいいよ」という提案を受けます。
これの何がまずいかと言うと、絵を描くのが目的で、その結果として怒っていたのから、初めから怒りを描くことが目的に変わってしまっていることです。初めから自分の目指す絵を描こうとしなければ、いつまでも描けるようになるはずがありませんよね。それに、怒りの炎の絵ばかりを描いていたら心が怒りに囚われていくはずです。
このことは花子さんも「目指している絵とは違った」と振り返っているように、自覚があったようです。

それでは、なぜ花子さんは自分の目指す絵を描くことよりも夜凪父の提案を優先したのでしょう。その答えの鍵はやはり「孤独感」にあると思います。
コロポックルの交換を拒まれた高校時代の経験と合わせて考えると、花子さんは「他人に自分の絵を求められる」「自分を認めてくれる・孤独から救ってくれる」のように考えていたのだと思います。「絵が初めて自分を救ってくれた気がした」と言っているように、自分を孤独にする周囲の人間・現実への怒りを感じつつも、心のどこかでは自分を受け入れてくれる理解者が現れるのを望んでいたのではないでしょうか。

一年後、夜凪父は姿を消しました。
「やはり私は一人なのだと思い知りました」
花子さんは絵を描いて忘れようとしますが、怒りに呪われてしまい炎以外の絵を描けなくなってしまっていました。これは、炎の絵しか一年間描いていなかったというのと、自分を孤独にする現実への怒りがさらに大きくなったというのが理由でしょう。

再び孤独になり、かつて目指した絵からかけ離れた怒りの炎しか描けなくなった上に、描けば描くほど現実への怒りが燃え盛るようになってしまいました。まさにこれは怒りの呪いでしょう。

舞台「羅刹女

サイド甲

天知から舞台「羅刹女」のオファーが来ます。

「私にはあなたが自らの怒りから逃れたいように見える」
「本当に描きたい絵があるのではないですか」
「それが一人では描けないというなら 誰かと共に描けばいい」

この天知の言葉に納得したのか、花子さんはオファーを受けます。
最初はそこまで乗り気ではなかったようですが、夜凪のポテンシャルを見て徐々に前向きに舞台に取り組むようになりました。

しかし、夜凪が父親への怒りを利用して演じようとしているのに気づいたとき、花子さんの頭の中に舞台をぶち壊してしまうような考えが浮かびました。「自分より創作に純粋な彼女なら怒りに呪われようとも、その先の景色を見せてくれるかもしれない」と思ってしまったのです。
その結果、夜凪父との過去の関係を暴露し、夜凪を精神的に追い詰めました。夜凪は燃え盛る怒りで不安定な精神になりましたが芝居を続け、最後には崩れてしまったものの怒りから解放されるための自分なりの答えを見つけました。

「過去の怒りと悲しみに囚われ そのおかげで今持っているものの豊かさに気づけた」

しかし、この答えはそもそも今持っているものが豊かとは言えない花子さんには届かないものでした。

サイド乙

失意の中、花子さんはサイド乙の初演を観に行きます。

黒山さんは、羅刹女と花子に必要だったのは「どうしても"それ"を愛してしまう そういう自分を許すこと」という解釈で演出をしました。ここでいう"それ"とは、羅刹女の場合は牛魔王のことでしょうし、花子さんの場合は自分を孤独にする周囲や現実ということになるでしょう。

自分を孤独にする現実への怒りが燃え盛る一方で、孤独から救ってくれる理解者が現れるのを望んでいる自分の気持ちを認める。
今まで孤独だったのは、世界が花子さんを受け入れてくれなかったからでなく、花子さんが世界に受け入れられる準備ができていなかったからなのかもしれません。孤独から逃れたい自分の気持ちを自覚し、他人に頼るのではなく花子さんが自ら周囲の人間と関わりあう勇気を持つことで、怒りの原因である孤独は解消されるのでしょう。
サイド甲のメンバーと二回目以降の公演に共に挑んだのはこの現れだと思います。


今後の花子さん

「…絵も小説ももう描きたいと思えないんです」
「もう創らなくていい 作る理由がない…」
「やっと自由になれた」

これは…怒りから解放された余韻で本来の創作意欲を一時的に見失っているだけでしょう。怒りの呪いがなくなったのなら、フキコちゃんの絵を描きたいという純粋な創作意欲が残るはず。
そのうち絵を描きだすと思います笑


フキこちゃんの絵を描くシーンは絶対あると思ってたんですが、もう新章に移ってしまいましたね。「別の作品で美術係として登場しないかな〜」なんて期待しながら、花子さんの再登場を待ちましょう。


ここまで読んでいただきありがとうございました。
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