漫画研究室

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「さよなら絵梨」について色々と考えた

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さよなら絵梨、読みました。

さよなら絵梨 - 藤本タツキ | 少年ジャンプ+

映像的な演出表現…事実と創作が曖昧になる構成…爆発オチのインパクト…
読んだままにしておけないというか「理解したい」と思わせてくるような圧倒的な作品でした。

事実と創作の境目

まず、事実と創作の境目について。
この作品を理解しようとして最初に考えたのはこれです。気になってしまいました。

デッドエクスプロージョンマザー、吸血鬼設定の映画、絵梨が病気で亡くなる映画、最後の爆発オチ。
世界が4重の入れ子構成になっていて、内側の描写は外側の世界から脚色・演出を受けている可能性があります。何が本当で何が嘘か分からなくなっていきました。
入れ子構成なのに時系列は直線的というのもややこしい点でした。

特に、絵梨が歯の矯正や眼鏡をかけていたことが明かされたところは衝撃的でした。事実関係があやふやになる奇妙な感覚がしましたね。


どこまでが事実なのか考えていった先で辿り着いたのは、一番外側の世界(最後の爆発オチ)すら創作である可能性です。
この読切自体が一つの映画で、絵梨は吸血鬼なんかじゃないし、大人優太は優太の父親が演じている…とか考えました。きっとこれ以外にも色々な解釈の仕方があると思います。ですが、そのどれも決定的に正しい解釈と言えるほどの根拠はなく、読者の妄想に過ぎません。

結論のつけようがなくないか…?と思いつつ更に考えていると、この読切自体がタツキ先生による創作という当然のことを思い出しました。
当たり前なんですけど、事実と創作の境目を考えていった先に「全て創作だった」に辿り着くのは呆気なくて面白い感覚でしたね。そういえば1ページ目では横向きのスマホに「さよなら絵梨 藤本タツキ」とありました。5重の入れ子構成になっていたのかな。

結局のところ、事実と創作の境目を考えることに意味なんかなくて「どこまで事実でどこまで創作かわからない所も私には良い混乱だった」としか言いようがないようです。

爆発オチ

オチを理解するために、まずストーリーを解釈することにしました。

この作品は「さよなら絵梨」というタイトルにも示されているように「別れの物語」のはず。母との死別、絵梨との死別、絵梨との別れが描かれています。そして、これらの別れは映画と関連して語られました。

「お母さんな…死ぬ瞬間まで撮って欲しいって」
「主人公の抱えている問題は(中略)母親の死を撮らなかったことなんじゃないかな」
「死ぬ自分を撮って欲しいって気持ち分かるもん」
「優太は人をどんな風に思い出すか決める力があるんだよ」
「見るたびに貴方に会える」

この読切のストーリーの軸は「映画には別れ(死)を乗り越える力がある」と大雑把に解釈しました。


爆発オチの理由を直接的に示していたのは「ファンタジーがひとつまみ足りないんじゃない?」という台詞。

これは優太が再編集を繰り返していた理由であり、絵梨と死別した映画が不完全だった原因でもあります。

「優太と言ったら…映画…?」
「僕の映画と言ったらナニ?」
「…爆発?…爆発かなあ…」

優太の映画には爆発が必要不可欠。冒頭の自殺未遂のきっかけになったのも、母親の死を映画で撮らなかったことではなく、モブに爆発オチを馬鹿にされたことでした。優太にとって爆発オチは自己肯定的な意味合いもあるんじゃないかと思います。

「映画には別れ(死)を乗り越える力がある」を踏まえると、爆発を含まない不完全な映画では絵梨と別れることができなかったが、爆発オチをつけ加えることで映画が完成し、優太は絵梨との別れを乗り越えることができた、という風に筋が通るようになります。

爆発オチは、否定された優太の映画を取り戻すと同時に、絵梨との別れを成立させる1つの要素だったということになります。


…と、ここまで考えてみたところ、爆発オチを物語を構成する1つの要素として解釈することができました。というか、おそらく順序が逆で、爆発オチありきで物語が組み立てられているんだと思います。物語の全てが爆発オチを映えさせるための演出のようです。

それではなぜタツキ先生は爆発オチを描きたかったのか。
これに関してはタツキ先生が爆発オチを描きたかっただけというか、これですね。

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