漫画研究室

ジャンプ作品の感想や考察を書いている個人ブログです。ジャンプ感想を毎週更新中。ワートリ感想を毎月更新中。呪術廻戦・アンデラの単行本感想を随時更新中。

【竜とそばかすの姫】ストーリーの違和感について:現実的な描写とフィクション展開のギャップ

f:id:mangalab:20210821123805j:plain
『竜とそばかすの姫』細田守最新作@スタジオ地図 @studio_chizu | https://twitter.com/studio_chizu/status/1428567466687533057?s=20

竜とそばかすの姫、見てきました。

作画や音楽など、演出面で最高の映画でした。

特に、Belleが歌声を披露するシーンは圧巻でしたね。
ここだけでも「映画館に見に行って良かった」と断言できます。
間違いなく映画館のスクリーンと音響で楽しむべき映画だと思います。


その一方で、ストーリーについては「粗さ」を感じてしまいました。
音楽と映像美を楽しみながらも、どこか作品にノリきれない違和感がありました。

このブログでは、違和感を感じた理由について考えています。




違和感の正体

最も強くストーリーに「粗さ」を感じたシーンは、ラストのすずの単身突撃です。

児童相談所が即座に対応してくれない」という理由が作中では一応示されていましたが、

  • 虐待がリアルタイムで行われている動画があるのに対応してくれないのか?
  • 児童相談所が無理なら警察に対応を頼めないのか?
  • 突撃するにしても大人が一緒に行くべきでは?

いくつも疑問点が思い浮かびました。
しかし、すずは周囲に止められることもなく突撃してしまいました。

「現実的な展開ではないな」「フィクションらしいご都合展開だな」と違和感を持ちました。


ただ、よくよく考えてみると、当たり前のことながら「竜とそばかすの姫」はフィクション作品ですし、展開がしっかり現実的である必要は別に無かったのかもしれません。
むしろ、物語を盛り上げることを考えると、主人公が単身向かうという展開は妥当でした。「すずが救った」という事実が強くなりますから。

どうやら無意識のうちに、現実的であることを作品に求めすぎていたようです。

現実的な描写

では、なぜフィクション作品のはずの「竜とそばかすの姫」に「現実的であること」を求めすぎてしまったのか。

それは、この作品にリアルな描写が多かったからだと思います。
フィクション世界の物語であるにも関わらず、リアルな描写が多いために、ついつい現実の感覚でストーリーを評価してしまいました。

現実をベースとしたフィクション自体は珍しいものではないですし、普通はそんなところに違和感を感じないのですが、この作品は「現実感」を出すのが上手すぎました。


例えば、物語の核である「U」は、技術的には非現実的な仮想世界であるにも関わらず、その実質は極めてリアルでした。

すずの母親に対しての誹謗中傷、無遠慮なBelleへの批評、無関係な人を巻き込む竜のオリジン探し…。現実のSNSの悪い側面そのものでしたね。
すずとしのぶくんの関係疑惑からコントロール不能な争いに発展していくのもネットらしさを感じました。

また、竜のオリジンへの虐待も直接的な描写が隠されてたからこそ、むしろ余計に想像をかき立てられて生々しく感じました。この容赦のなさも現実らしさですね。

これらのリアルな描写により、「竜とそばかすの姫」を過度に現実的な視点から見てしまったようです。

フィクション展開とのギャップ

話を戻します。
「竜とそばかすの姫」にはフィクションらしい要素・展開が普通にありました。

強制アンベイルなんてプライバシー保護ガン無視のアイテムや、無数の動画の中から竜の配信を見つける奇跡などですね。もちろん、すずの単身突撃も含まれます。

これらは、普通なら許容されるべきフィクションだったんだと思います。
ただ、現実感の強い描写の中で、これらのフィクションやや強めの要素は違和感となってしまいました。

というわけで、「現実的な描写とフィクション展開のギャップの大きさがストーリーの違和感を生んだ」という結論になります。

おわり

リアリティラインは作品ごとに違いますし、受け手としては各作品にあった楽しみ方ができるようになりたいものです。