アクタージュscene103「武器」感想・考察『サイド乙の舞台の異質な特徴』
ネタバレあり。未読の方はご注意ください。
サイド乙の舞台の作中での異質さ
何が異質かというと「不確定要素がない」という部分です。
今までのほとんどの舞台は演じながら役者が成長していく不確定な要素が多いストーリーでした。本来完成されてなければいけない芝居が不安定だからこそ、読者はどのような展開になるかが予測できずに惹き込まれていたわけです。
具体例を挙げるとこんな感じです。
一つの公演につき一つというわけでもなく、複数の不確定要素が公演に関わってくるのがアクタージュの特徴であり魅力でもありました。
しかし、今回のサイド乙の舞台にはそういった不安要素がありません。
千世子の芝居は急ごしらえですが黒山監督が自信を持って送り出していましたし芝居が崩れる可能性は低いでしょう。阿良也も元々「俺にぴったりの役だ」と発言していたように王賀美のような危うさはありません。他の役者たちも今のところ不安要素は出されていません(和歌月さんがちゃんと演じきれるかは若干不安ですが笑)。
そもそも演劇って不確定要素をなるべく削るために稽古をしているんでしょうしこれが本来あるべき姿っぽいです。本当に舞台を見ているかのような気分でサイド乙の舞台は楽しめそうです。
扉絵
アンデッドアンラックの"疾走感"あるバトルを読んだ後、急に"静"の扉絵を持ってこられると緩急で死ぬ。そして顔が良い。とにかく良い。
これはカラーで見たかった扉絵ランキング上位に入りますね。久しぶりに塗り絵したくなる扉絵でした。
阿良也の芝居
「王賀美と同じ役を演じてもここまで印象が変わるか」というのは純粋に驚きでした。明神阿良也という役者の凄さ、これを仕組んだ黒山監督の腕の凄さ、そしてこれらを考えているマツキ先生の原作の凄さを同時に再認識させられました。とても同じキャラの登場シーンとは思えないです。
「対照的な芝居をぶつけることによって より羅刹女が美しく見える」という白石サンの解説にも納得せざるを得ません。前のページで自分が感じた印象の理由がそのまま書いてあった感じです。この言葉からも分かるように羅刹女と孫悟空の関係もサイド甲とは全く違いますね。本当に全く違う演劇を見ているかのようです。
余談ですが「阿良也がいない!?トラブルか?」と思わせておいて実は平常運転でした!という流れは笑うとこじゃないんですが何故かクスッとしちゃいましたw
千世子の芝居
「怖い」のコマが本当に怖くてビビりましたw これは宇佐崎先生の画力があってこそ為せる演出ですね。
天使の芝居(行動)と恨み言(言葉)のギャップで不気味さを演出するというのも面白いです。こちらでは黒山さんとマツキ先生の株が無限に上がっていきます。
そして天使から悪魔への豹変。演劇に詳しくない観客にも分かりやすいように刀を抜かずに素手で掴みにかかるという目で見て分かる芝居で表しているのは、流石表現力に長けた百城千世子といったところでしょうか。
また千世子の演技の方針転換は完全に黒山監督の思惑通りだったことが明言されました。
黒山さんがこの解決策にたどり着いたのがまさかサイド甲の芝居を見てからということは無いだろうし、千世子が夜凪の芝居に圧倒されて心が折れるというところまでは想定してたっぽい。新しい路線に踏み出しても勝てないことに気づかせるにはこうするしかなかった
— シマ@固ツイの鬼滅アンケートへのご協力お願いします (@shima_manga) February 10, 2020
若干意味合いは違う気もしますがほぼ考察通りでした。考察が当たると嬉しいです!
「そうだ百城飼いならせ "天使の仮面も"も"胎の中の悪魔"もどっちもお前だ」
これ完全に火ノ丸相撲の無道じゃん…
サブタイ「武器」
「千世子が今まで磨き続けてきた"武器"(=仮面の芝居)は無駄ではなかった」という意味のサブタイでした。既に出ていた話ですので黒山監督が改めて「武器」という言葉を用いて表現し直した形ですね。
同じようなことを101話の感想で既に解釈できていたので作品を着実に理解できてきた気がして嬉しいです。
#wj11 #アクタージュ
— シマ@固ツイの鬼滅アンケートへのご協力お願いします (@shima_manga) February 10, 2020
「今のままでは勝てない」からといって「今持っているものを全て捨てる必要はない」
なんて秀逸な答えなんだ…
ここまでお読みいただきありがとうございました!
面白かったらツイッターなどでシェアしていただけると嬉しいです。
また別の記事でお会いしましょう!