アクタージュscene106「勝負」感想・考察『公式よなちよ』
ネタバレあり。未読の方はご注意ください。
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炎の絵を描けなくなった花子さん
花子さんが炎の絵を描けなくなりました。
炎の絵はそもそも彼女の怒りを表現したものです。その炎は「孤独への怒り」「納得のいく作品を描けない怒り」「創作を愛さずにはいられない自分への怒り」など様々な怒りが混じったものでした。しかし「孤独への怒り」はサイド甲の演者と関わりを持ったことで鎮められました。「納得のいく作品を描けない怒り」も舞台でなら表現できると覚悟を決めたことで鎮まったのだと思います。そして何より、サイド乙の舞台で「創作を愛さずにはいられない自分への怒り」が鎮められました。
つまり、炎の絵を描けなくなったのは花子さんがこれらの怒りから解放されたからだと思います。
試行錯誤と千秋楽
サイド甲は2回目以降の公演から試行錯誤しましたが、納得のいくクオリティには達していないようです。
花子さんの「(羅刹女は)彼を愛してしまう自分を許せなかったんです」というセリフや夜凪が千世子の近くで感情を高めていることから、サイド甲がサイド乙と同じ羅刹女の解釈を使おうとしていることが分かります。私は、サイド甲が自分達なりの新しい解釈を見つけて2回目以降の公演に挑むと予想していたので、この展開には意表を突かれました。サイド乙の解釈で舞台を成立させるには牛魔王と孫悟空の瞬時の入れ替えが必要不可欠なはずなのですが、王賀美はどうやって演じているんでしょうね。
一応、千秋楽の公演が次回描かれるようですが「次号羅刹女編完結」というアオリがあるのでサイド甲の新解釈のお披露目がある可能性は極めて低いでしょう。覚悟を新たにしたサイド甲がどんな答えを見せてくれるか楽しみにしてたので少し残念です。
花子さんの今後
花子さんにとって象徴的なのは「コロポックルのフキコちゃんの絵」です。この絵を満足に描けるようになる事が花子さんの怒りからの完全な解放を表します。羅刹女編完結と合わせて描くのか、もう少し引っ張るのかどっちでしょう。
さらに将来の話になりますが、花子さんが演出家としてではなく美術として夜凪と同じ作品に参加する可能性もあると思うので楽しみです。
夜凪のプライド
黒山監督が夜凪のプライドについて言及。
羅刹女編では芝居の技術も成長しましたが、精神面でも大きく成長しましたね。銀河鉄道編が終わった頃の不安定な精神を思い出すと感慨深いものがあります。
公式よなちよ
「そこにいてくれるだけでいいの」
千世子は夜凪を想い、夜凪は千世子を想う。二人とも芝居のためにやっているんだと分かってはいるんですが、この双方向の感情があまりにもデカすぎる。素晴らしい。いや〜最高。
しかも共同稽古で千世子が夜凪に演じ方を教えたってことは「私はあなたを想いながら演じているんだよ」って言ったってことですもんね。もうそれって告白では…?
千世子と夜凪の和解がこのタイミングではっきりと描かれたのは良かったと思います。遺恨を残したまま次の章に進むと後味悪いですし。
それに「この勝負に役者生命がかかっている」問題もサラッと解決してますね。これはサイド乙の勝利でうやむやにするのかと思ってたんですが、本人が「バカみたいだよね」と否定し「舞台が終わっても勝負は毎日続く」「どうせ私たちはしわくちゃのおばあちゃんになっても役者だから」とむしろ前向きに捉えるようなりました。
言ってる事が今までと真逆になってるのに違和感をあまり感じないのは、千世子のセリフの言葉の力でしょうか。
次号展開予想
次号は「サイド甲の千秋楽→新展開の導入」くらいでしょうか。天知が「もうじき打って出るよ黒山」と言ってますし、新展開も天知が仕組んだ企画がらみになると予想してます。個人的には恋愛ドラマとかが来たら嬉しいですね。恋する夜凪景とか絶対可愛いじゃないですか!?
あと、もう一つ気になってるのは「夜凪父の登場」ですね。羅刹女編終了と同時に登場は良いタイミングだと思いますし可能性はあるので、一応心の準備だけしておきます。
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